手品師

手品師は、急にこの街が嫌になつたのです、それで、この青い船にのつて河下の街に行つて見たくなつたのでした。 青い船の船頭は、河岸に船をよせてくれましたので、手品師は船に乗りました。船には一人のお客さんもなく、がらんとしてゐました。 ――船頭さん、わしはこの日あたりのよい、甲板《かんぱん》に居ることにするよ。 かう手品師が言ふと船頭は ――お客さん、其処に坐つてゐては駄目だよ。いまにお客さんで満員になるんだから。 とかう言ふので手品師は、鉄の梯子《はしご》を、とんとんと船底に下りて行きましたが、船底にも、一人のお客もありませんでした。     * 青い船が、下流の街について、手品師が船底から甲板にあがつて見ると、船頭の言つたやうに、なるほど甲板の上は、船客でいつぱいになつてをりました。 この街は、手品師がかつて見たことのないやうな、美しいハイカラの建物の揃つた街でした。地面はみなコンクリートで固めてあつて、見あげるやうな、高い青塗りの建物が、不思議なことには、その建物には、窓も出入口もなんにもない家ばかりであるのに、街には人出で賑はつてゐました。 手品師は、きよろきよろ街を見物しながら、街の中央ごろの、広い橋の上にやつてきて、そこの人通りの多いところで、職業《しやうばい》の手品にとりかかりました。 ――さあ、さあ、皆さんお集《あつま》り下さい。運命の糸をたぐれば踊りだす。  赤いシャッポの人形。  旅にやつれた機械《からくり》人形。とかう歌つて、手品師がたくさんの人を集めて、さて手品にとりかからうとすると、手品師は、たいへんなことが出来あがつたと思ひました。それは大切《だいじ》な大切《だいじ》な、職業《しやうばい》道具のはひつた、手品の種の袋を船の中に置き忘れてきてしまつたのです。 手品師は上陸するときには、青い船が岸を離れて、下流に辷つて行つたことを知つてゐます。 手品師は、見物人の前でしばらく思案をいたしました。

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