爺さんと婆さん

――婆さん、わからんな、これまでにも、わしは石につまづいて、なんべんも転んだことがあるんだが。 ――こんどのは、あんなもんぢやないんだよきつと、すばらしく大きな音がするんだよ。 爺さんと婆さんは、そこで牛小舎に、大きな音をたてて、かはるがはる、ひつくり返つて見ましたが、死ぬといふことが、わからないうちに、だんだん東の方が白《しら》んでまゐりました。     * 翌朝、早くから二頭の夫婦牛は、小舎から引き出されて、飼主に曳いてゆかれました。 ――旦那さま、わし達は、その死ぬといふことが、嫌になりました。 夫婦牛は、足をふんばつて、屠殺場へ行く途中、さんざん駄々をこねて、飼主をたいへん困らせましたが、飼主はいつもより、太い鞭を、ちやんと用意して来てゐて、ぴしぴし続けさまに、尻を打ちましたので、牛は泣く泣く屠殺場へ行かなければなりませんでした。 ――かーん。と大きな響がして、その響が秋の空いつぱいに、拡がつたと思ふと、額を金槌で殴られた婆さん牛は、お日様の光をまぶしさうに、二三度頭を左右に振つたと思ふと、大きな地響をして、地面に倒れました。 倒れた婆さん牛は、太い繩のついた、滑り車で吊りあげられましたが、 ――やあ婆さん、綺麗な衣装を着たなあ。 と遠くに見てゐた、爺さん牛が、思はず感嘆をしたほどに、婆さん牛の姿は変つてゐました。それは美しい真赤な着物を着てゐました。 その赤い衣装は、ぽたぽたと音して、地面にしたたり、地面に吸はれました。 屠殺場の男が、白い刃物を光らして、婆さん牛の、その赤い衣装をはぎだしましたが、ちやうど官女の十二|単衣《ひとえ》のやうに、何枚も何枚も、赤い着物を重ねてゐました。 ――婆さんは、いつの間に、赤い下着をあんなに多くさん着こんでゐたんだらう。 爺さん牛は、これを見て急にお可笑くなつたので、腹を抱へて笑ひだしました。     *

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