馬のやうに泣くこと

しかしやがて馬のやうに泣くことも、唖娘にはできなくなつてしまひました。 いつも唖娘の泣く声の面白さに、さま/″\なことを言つて、唖娘を泣かした意地の悪いお友達も、唖娘が泣かなくなつてから、誰も対手《あひて》にしなくなりました。 唖娘には、お父さんもお母さんもありませんでした。 そしてこの憐れな孤児の唖娘は、見も知らぬ不思議な小母さんに養はれてゐました。 それが何時《いつ》の頃から、小母さんの処に来てゐるのか、自分でも知つてゐないほど、小さな時のことでした。 小母さんは、それは/\広々とした花園《くわゑん》を持つてゐて、そこには薔薇の花をたくさん植ゑてゐました。 唖娘はまい朝早く起きて、この花園の土に素足になつて、手には重たい如露《ぢよろ》をさげて、薔薇の間を縫ひながら、花に水をやるのが仕事でした。 その仕事は、けつして辛い仕事だとは思ひませんでしたが、小母さんは、たいへん邪険な人でしたから、唖娘がささいなあやまちをしても、薔薇の棘のある細い鞭を、ぴゆう/\と風のやうに鳴らして、肩のあたりを激しく打ちました。 唖娘は、これをたいへん悲しく思ひました。小母さんは、黄色い長い上着をぞろ/\と、地面にひきずりながら恐ろしいとがつた眼をして、唖娘の後に尾《つ》ついてきながら、それはやかましく指図をしたり、小言をいつたり、いたしました。 小母さんのいちばん機嫌のよいのは薔薇の花に、しつとりと朝露の含んだ頃です、その時だけは、小母さんは晴ればれとした顔をして、花園の中を歩るき廻ります。『わたしの皮膚の匂ひを、かいでごらんよ、唖娘、なんといゝ匂ひだらうね。なんの花の匂ひをするか言つてごらんよ。』かう言つて小母さんは、唖娘の鼻さきに、自分の痩せた顔をつきだしました。 こんなときには、おばさんの一日のうちで、いちばん機嫌のよいときですから唖娘は、小母さんの機嫌に逆はぬやうに、だまつて薔薇の花を指さします。小母さんは、さも満足のやうに、にこにこいたします、しかし、ほんとうは小母さんの顔はまつくろで、ざらざらと小さな棘の生えてゐるやうに、皮膚が醜く荒れてをりましたし、それに念入りに、こて/\と薔薇の花粉《はなこ》で拵らへた白粉を、まだらに塗つてをりました。 小母さんは、この花粉の白粉で、額の溝のやうに深い、たくさんの皺をかくしてをりましたので、ほんとうの小母さんのとしが何歳《いくつ》であるか、唖娘は知りませんでした。

[#4字下げ]三[#「三」は中見出し]

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