上流社会台所の模範

[#ここから2字下げ][#ここから38字詰め] 巻頭の口画に掲げたるは現今上流社会台所の模範と称せらるる牛込《うしごめ》早稲田大隈伯爵家の台所にして山本松谷《やまもとしょうこく》氏が健腕を以て詳密に実写せし真景なり。台所は昨年の新築に成り、主人公の伯爵が和洋の料理に適用せしめんと最も苦心せられし新考案の設備にてその広さ二十五坪、半《なかば》は板敷《いたじき》半はセメントの土間にして天井におよそ四坪の硝子明取《がらすあかりと》りあり。極めて清潔なると器具配置の整頓《せいとん》せると立働《たちはたら》きの便利なると鼠《ねずみ》の竄入《ざんにゅう》せざると全体の衛生的なるとはこの台所の特長なり。口画を披《ひら》く者は土間の中央に一大ストーブの据《すえ》られたるを見ん。これ英国より取寄せられたる瓦斯《がす》ストーブにて高さ四尺長さ五尺幅弐尺あり、この価《あたえ》弐百五十円なりという。ストーブの傍《かたわら》に大小の大釜|両個《ふたつ》あり。釜の此方《こなた》に厨人《ちゅうじん》土間に立ちて壺《つぼ》を棚に載《の》せ、厨人の前方板にて囲《かこ》いたる中に瓦斯竈《がすかまど》三基を置く。中央の置棚《おきだな》に野菜類の堆《うずたか》く籠《かご》に盛られたるは同邸の一名物と称せらるる温室仕立の野菜なり。三月に瓜《うり》あり、四月に茄子《なす》あり、根葉果茎一として食卓の珍ならざるはなし。下働きの女中、給仕役の少女、各その職を執《と》りて事に当る。人も美しく、四辺《あたり》も清潔なり。この台所に入《い》る者は先《ま》ず眉目《びもく》に明快なるを覚ゆべし。 この台所にては毎日平均五十人前以上の食事を調《ととの》う。百人二百人の賓客《ひんかく》ありても千人二千人の立食を作るも皆《み》なここにて事足るなり。伯爵家にては大概各日位に西洋料理を調えらる。和洋の料理、この設備に拠《よ》れば手に応じて成り、また何の不便不足を感ずる所なし。この台所のかくまで便宜に適したるはストーブにも竈にも瓦斯を用いたるがためなり。瓦斯なるために薪炭《まきすみ》の置場を要せず、烟突《えんとつ》を要せず、鍋釜の底の煤《すす》に汚れる憂《うれい》もなく、急を要する時もマッチ一本にて自在の火力を得《う》べし。物を炙《あぶ》り物を煮《に》るも火力平均するがため少しくその使用法に馴《な》るれば仕損《しそん》ずる気支《きづかい》なし。費用は薪炭の時代に一日壱円五十一銭を要せしが今は瓦斯代九十五銭を要するのみ。即ち一日に五十六銭の利あり。然《しか》れども瓦斯の使用は軽便と清潔と人の手数とを省く点において費用の減少よりもなお大《おおい》なる利益あり。 文明の生活をなさんものは文明の台所を要す。和洋の料理を為《な》さんものはよろしくこの新考案を学ぶべし。[#ここで字詰め終わり][#ここで字下げ終わり][#改ページ]

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