門違《かどちが》い

[#4字下げ]第十一 門違《かどちが》い[#「第十一 門違い」は中見出し]

 手料理を人に饗《きょう》するものは先方の胃袋が堪うると否《いな》とに頓着《とんちゃく》なく多食せらるるを快《こころよし》となす癖あり。主人の中川自慢顔に「大原君、その四角な大きな肉を試してみ給え箸《はし》で自由にちぎれるよ。それが長崎有名の角煮といって豚料理の第一等、本式にすると手数も随分かかるが非常に美味《うま》いものだ。一つ遣《や》ってみ給え」と頻《しきり》に薦《すす》められ客は箸にてその肉をちぎり「なるほどちぎれる。これは美味い、これは非常だ。どうして拵《こしら》えるのだね」主人笑いながら「これはうっかり教えられん、伝授料が要《い》るよ。長崎でも同じ角煮といいながら家《うち》によって少《すこし》ずつ料理方《りょうりかた》が違う。僕の家のは支那人直伝の東坡肉《とうばにく》というのだ。今に君が家でも持《もっ》たら妹に命じて君の御妻君《ごさいくん》に教えて進ぜよう」大原は失望の気味「イヤそれは少しお門違《かどちが》い、僕は御令妹の調理された者を食《たべ》たいのが志願だね」御本人の娘も大原の心を察せず「お教え申すというほどに出来ませんが奥さんがいらっしゃいましたらお互《たがい》に知《しっ》た事の御交換をして戴きたいのです。小山さんにも先日願いまして南京豆のお料理を習いに出ますつもりです」と何処《どこ》までも余所余所《よそよそ》し。大原|張合《はりあい》なく「困りましたね、そうおっしゃっては。僕のような者の処《ところ》へ嫁に来てくれる人がありません」と窃《ひそか》に先方の気を引いてみる。生憎《あいにく》娘は何とも答えず主人が串談《じょうだん》に「アハハ来てくれる人があっても君の大食《おおぐい》を見たら胆《きも》を潰《つぶ》して逃げ出すだろう。お登和や、豚饂飩《ぶたうどん》が出来ているなら私におくれな」妹「ハイ、お客様にも差上げましょうか」と大原の様子を窺《うかが》えども大原は打萎《うちしお》れて黙っている。今度はお登和が張合なく「誠に不出来でお口に合いますまいから」と謙遜の言葉も大原の耳には怨言《えんげん》らしく聞え「イエ戴きます、何でも戴きます。貴嬢《あなた》のお手料理なら死ぬまで辞しません」と我が意気組を知らせるつもり。この時娘は料理と共に酒の銚子を持ち来《きた》り「兄さんやっとお燗《かん》も出来ました。料理の方で火を使いましたからお湯が皆《み》んな冷《さ》めてしまって遅くなりました」と食卓の上へ置く。主人は深くも飲まぬと見えて小さな盃へ半《なか》ばほど注《つ》がせ「大原君、君はどうだね」客「飲むさ、酒が来ればまた食べられるからね。僕は酒を美味いと思わん。むしろ不味《まず》くって我慢する方だが腹が張った時飲むと胃を刺撃して再び食慾を起す。僕の酒は食うために飲むのだ」主人「何でも食う事ばかり。アハハお登和や、一つお酌《しゃく》をしてお進《あ》げ」大原「有難《ありがた》い。この酒ばかりは特別に美味いよ」主人「上等の酒を吟味してあるからね」大原「ナニそういう訳《わけ》ではない、酒のお蔭でまた食べられる。豚饂飩も結構だね」主人「まだこの外に豚と大根《だいこ》の料理だの、豚とマカロニだの、豚とそうめんだの、豚料理は沢山あるから追々御馳走する事にしよう。折々遊びに遣って来給え」大原「毎日でも来るよ」とは御馳走を目的とするにあらず。しかるに娘は誤解しけん「ホントにお早く奥さんをお持ちになるとようございますね、私も遊びに上って色々なものを拵《こしら》えますのに」大原再び失望「どうぞモー奥さん奥さんと言って下さるな、情けなくなります」主人「情けないとはおかしいでないか、何が情けない」大原「情けない事があるのだよ」と到底我心人に通ぜず。

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