湯豆腐

湯豆腐にするのでも何にするのでも葛を入れるのが一番です」妻君「その塩梅《あんばい》では餡の方にも好《よ》い事がありましょうね」お登和「餡は最初|昆布《こぶ》と鰹節《かつぶし》で煎汁《にだし》をお拵えなさい。それへお砂糖とお醤油で味をつけて葛を引きます。お役味《やくみ》には山葵《わさび》と芥子《からし》とをよく混ぜて出すのです」妻君「それは美味《おい》しゅうございましょう。全体|何処《どこ》のお料理です」お登和「これは西京風の餡かけ豆腐です」と語る側《そば》にて大原が「お登和さん、塩で揉んだばかりで干瓢がモー柔くなりました」お登和「それでは水で洗ってお鍋へ入れて煮て下さい」と自分こそ台所の主人役、その中《うち》に下女が豆腐を買い来りければ妻君は餡かけ豆腐を拵える。この時勝手口より顔を出す牛肉屋の御用聞き「今日《こんにち》は何を持って参りましょう」妻君「やっぱり平日《いつも》のように上等のロースを一|斤《きん》持って来ておくれ」男「ヘイヘイ」と帰り去る。妻君|此方《こなた》を向き「お登和さん、宅では牛肉が好きですから毎日牛を配達させますよ。牛肉をシチュウにしたのが一番好きでね」お登和「オヤそれではロースをシチュウになさいますか」妻君「ハイ」お登和「西洋料理屋のシチュウのようにお美味《いし》く出来ますまい」妻君「出来ません。ナゼでしょう」お登和「シチュウにする肉はバラーといって肋《あばら》の処《ところ》の肉でなければ美味《おい》しくなりません。バラーは直段《ねだん》の廉《やす》い処で内ロースの半分|価《ね》位でしょう。ロース肉はシチュウにすると筋張《すじば》ってかえっていけません。ロースでシチュウを拵えるのは高い直段の肉をお買いなすってわざわざ不味《まず》くなさるのです」妻君「そうですかね、私は何にするのでも上等の肉がいいと思って牛肉はロースばかり買いました。惜しい事をしましたね」お登和「ロースばかりお使いでは直段が高くって御損《ごそん》です。シチュウには牛の舌をお買いになってタンシチュウをお拵えなすっても沢山出来てお徳《とく》です。何の料理でもその材料が適当しなければ好《よ》いものがかえって悪くなります。お魚のスープを拵えるに少しでも身を入れると味が悪くなります。骨ばかりにして綺麗《きれい》に身を除《と》らなければ美味しいスープが出来ません。オヤ何だか焦臭《こげくさ》い、大原さん干瓢が焦付《こげつ》きますよ」大原「ホイ失敗《しま》った」[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]○湯豆腐を作るには鍋へ湯を沸かし、葛を少し溶き込み、湯玉の立つほど沸き立つ中へ豆腐を入れ、暫く煮ると豆腐が動き始めて浮き上らんとする時|掬《すく》い揚げて皿へ盛り出すべし。その皿には湯を少しく入れておく。汁は鰹節の煎汁《だし》と醤油を煮立て大根卸しを添ゆ。○バラー肉をシチュウにするは沸立ちたる湯へ肉を入れ、ホンの少しの塩を加え二時間ほど煮て先ずジャガ芋と大根と少々の湯煮た人参なぞを加え、三十分ほど煮て球葱《たまねぎ》かあるいは白葱を加え塩と胡椒とバターにて味をつけ、また三十分ほど煮て葡萄酒を少し加え、米利堅粉《めりけんこ》を溶き込みてその汁を濃くす。一晩置いて翌日用ゆるには用ゆる時米利堅粉を溶き込むべし。葡萄酒を加うる時赤茄子のソースを交ぜれば味一層よし。○上等製のシチュウは肉を一旦油にて炒りつけドビグラスといえる肉汁にて長く煮るなり。○昆布だしは汁の味を佳《よ》くするのみならず、また植物質の消化を助くる功あり。[#ここで字下げ終わり]

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