田毎豆腐《たごとどうふ》

○鶏卵の尖りたる部に小さき気孔あり。生活力の存する間はその気孔より呼吸しおるもの故他に腐りたる鶏卵を置けば直ちにその腐敗したる空気を吸入して伝染す。故に横に離して置くより縦に離すの必要あり。また取扱う時手にてこの気孔を押ゆれば生活力を失いて孵化せず。鶏卵は常に胴の側面へ指をかけて取扱うべし。[#ここで字下げ終わり]

[#4字下げ]第四十一 田毎豆腐《たごとどうふ》[#「第四十一 田毎豆腐」は中見出し]

 昼餐《ちゅうさん》の支度はなかなかに手間が取れたり。ちょいとしたる御馳走ながら客が料理に委《くわ》しき中川とて妻君も如何《いか》ばかり心を労しけん。ややありて持出し来れる膳《ぜん》の上には品数多く列《なら》べられたり。主人の小山|先《ま》ず椀《わん》の蓋《ふた》を取りてお毒見にとその味を試み「ウム、これは美味《うま》く出来た。中川君、この田毎豆腐《たごとどうふ》を遣《や》ってみ給え」中川も箸《はし》を執《と》りて椀の中を覗《のぞ》き「田毎豆腐とは始めて聞いたが、オヤオヤ豆腐の中に玉子が入れてあるね。田毎の月という訳か。味も大層結構だ、どういう風に拵《こしら》えるのだ」主人「先ず餡掛豆腐《あんかけどうふ》の変体さね。四角に切《きっ》た豆腐の真中《まんなか》を匙《さじ》の先でくり抜いてその中へ玉子の黄身のザット湯煮《ゆで》たのを落してそれをそうっと沸湯《にえゆ》で湯煮て別に葛《くず》の餡を拵えて掛けるのだが今日のは豆腐も柔《やわらか》に煮えているし餡の味も佳《よ》い。お徳や、今日のは別製かえ」妻君「ハイ別製でございます。やっぱりお登和さんの御伝授で餡掛豆腐の製法を先日教わりましたからその法を用いて今日はお豆腐を湯煮る時お湯の中へ葛を溶《と》いて入れましたからそれでお豆腐が柔いのです。餡の拵らえ方《かた》もお登和さん直伝です」主人「道理で美味《うま》いと思った。この半熟玉子を遣ってみよう、なるほどこれは格別だ。白身も黄身も同じような半熟になって味の佳いこと非常だね。中川君その南京豆の煮たのを試《ためし》てくれ給え、それは僕の家の独得の料理だよ」中川「今一つ二つ試みて感心したのだ。よくこんなに柔く煮えるね、味も大層結構だが奥さんこれはどうします」妻君「それは最初南京豆の厚皮を除《と》って渋皮のままザッと湯煮て擂鉢《すりばち》の中でその豆を米を磨《と》ぐように磨ぎますと渋皮が剥《む》けます。それからまた湯に入れて三十分間ほど煮ては漏《こぼ》しまた三十分煮ては漏し一時間半位に三度|湯煮漏《ゆでこぼ》すとアクが除れます。その次にまた一時間ほど湯煮てお砂糖を入れてまた二時間煮て今度は塩で味を付けて三十分ほど過ぎると火から卸《おろ》します。これもやっぱり昨日煮たものを今日温めて食べるのがよいようです」中川「なるほどね、早速お登和に遣らせてみましょう。此方《こっち》のお皿のは南京豆の和物《あえもの》ですか、胡麻和《ごまあえ》よりも非常に結構です。これは炒《い》った南京豆をお摺りなすったのですね。お小皿の人参《にんじん》はどういう料理です」妻君「それは人参の酢煎《すに》で、人参を極《ご》く薄く短冊形《たんざくがた》に截《き》って酢と味淋《みりん》と砂糖と塩でよく煮たのです。中川さん、良人《やど》が先日|貴君《あなた》の処で伺ったと申してお料理のたびに必ず酸《す》いものと苦《にが》いものを拵えろと申しますが酸いものはまだ出来ますけれども苦いものには困ります。先日|八百屋《やおや》が蕗《ふき》の薹《とう》を持って来ましたから一度に沢山|蕗味噌《ふきみそ》を拵えておきました。お猪口《ちょこ》の中にあるのがそうですから一つ召上って下さい」中川「蕗味噌は結構ですね。私どもでは湯煮て三杯酢《さんばいず》にしたり、佃煮《つくだに》にしたりしますが蕗味噌はどうします」妻君「先ず蕗の薹を湯煮ておきまして全体なら白胡麻ですが私どもでは胡麻の代りに南京豆を摺鉢でよく擂って味噌を交ぜてお砂糖で味をつけてその中へ蕗の薹を入れて鍋でよく煮たのです。一度拵えると十日位持ちますから世話がありません。苦いものは胃のお薬だそうですね」中川「さようです、健胃剤を蕗の薹から製す医者もあるそうです。オヤまた御馳走が出来ましたか、モー沢山です」妻君「どうぞそのお椀《わん》とお取かえ下さい。これは大根のフロフキです。お登和さんに大根を柔に煮る法を教わりましたから湯煮て沸上った時塩を少し入れましたから大層早く出来ました。フロフキの餡が胡麻味噌の代りに南京豆のお味噌ですからそれを一つお試し下さい」と妻君も幾分か自慢顔。

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