養鶏が盛《さかん》になって

近頃は我邦《わがくに》でも養鶏が盛《さかん》になって西洋鶏の種類も沢山|殖《ふ》えたが西洋鶏の中には産卵鶏と肉用鶏と闘鶏《けあいどり》との三大区別がある。その中の肉用鶏は食用に供する種類だからその肉は皆《み》な美味《うま》い。米国種《べいこくだね》のプリマウス、ロックだの、仏国種のウーダンだの、亜細亜種《あじあだね》のブラマだのと肉用鶏も沢山あるが最上等の肉用鶏はこのドウキングだ。この鶏は体量も一番多い、大きなのは二貫目もある。その代り玉子を産《う》む事は一番|寡《すくな》い。外の種類は産卵鶏の兼用も出来るがドウキングは肉用専門に出来ているからその肉の味《あじわい》は他の鶏の遠く及ぶ処でない。しかるにその去勢した者は肉の味が去勢せざるものに三倍するとしてある。普通の鶏は雌《めす》の肉が雄《おす》より美味いと極《き》まっているが去勢した雄は雌よりも遥《はるか》に美味い。仏蘭西辺《ふらんすへん》でドウキングの去勢肉といえば最上等の御馳走《ごちそう》としてあって直段《ねだん》も普通の肉より三倍高い。我邦ではまだ去勢術が盛に行われんから直段の高下もない代りにその肉も容易に得られない。未来は知らず今の処では外に類のない珍味だぜ」と先ず講釈が大層なり。客の三人は珍物よと聞きて賞翫《しょうがん》しつつ小山夫婦|頻《しきり》に感歎し「なるほどこれは無類だ。柔《やわらか》いこと綿の如《ごと》くでその中に何とも言われん味がある。しかし中川君、鶏にも睾《きん》があるかね」主人「あるとも、動物だもの。ただそれが背中の内にあるから素人《しろうと》に分らん。かつ去勢術が豚や馬に比して困難なのもそれがためだ」小山「どうしてそれを去勢するね、やっぱり背中を立割《たちわ》るかね」主人「そうさ、それが大変にむずかしい。何となれば去勢する鶏は産れてから七、八十日位の雛鳥に限るから身体《からだ》も小さいし、腹の中の臓腑《ぞうふ》や筋骨も弱いし大きなものを扱うよりも非常に困難だ。その代り去勢した後にはその発育が俄《にわか》に倍加して普通の鶏が一か月に百目ずつ体量が殖えるとすると去勢したものは二百目以上ずつ殖える。精密に比較すると同種類の去勢しない鶏が三百目の体量に達する時は去勢した者が七百目に達する割合だ。その肉を同じ直段《ねだん》に売るとしても倍以上の利益があるのに、仏蘭西辺の如く去勢肉が三倍の高価になれば合せて六倍の利益になる。かつ去勢した雄鶏《おす》は母鶏《ははどり》の代用として能《よ》く雛鳥《ひなどり》を親切に撫育《ぶいく》するから外国では盛に育雛《いくすう》用にも使われる。それもドウキングに限らない。雑種でも日本鶏でも去勢すれば皆《み》んなその通りになる。去勢術が広く全国へ行われたら養鶏上の利益は大きなものだね」小山「ウム、同じ鶏を飼って肉が倍以上に殖え、直段が三倍になるとしたら百万円の鶏が五、六百万円になるのだから国家全体の利益さね」と談話はとかく横に外《そ》れる。お登和嬢は大原のナイフを持ちて骨付の肉を剥《そ》がんとするを見「大原さんその肉はお箸《はし》でおちぎりなすっても取れますよ」と教えて遣る。大原はお登和嬢の親切を格別に嬉しがり「なるほど、ありがたい」と箸を執《と》りて肉をちぎり始めぬ。お登和嬢塩の器を押し遣り「大原さん、塩気が足りませんければこれをおかけなさい。アレさ指でお摘《つま》みなさらないでナイフで掬《すく》ってフークへチンチンと叩《たた》いてお振りかけなさい」大原マゴマゴ「アアいよいよありがたい」

— posted by id at 03:05 pm  

T: Y: ALL: Online:
Created in 2.0061 sec.

http://ebook-my-home.com/