去勢術

[#4字下げ]第五十三 去勢術[#「第五十三 去勢術」は中見出し]

 客の小山は去勢術の話を耳新しく感じ「中川君、去勢術の利益は大きなものだ。僕の郷里でも養鶏を盛に遣っているから去勢術を実行させたいと思うがその方法は面倒だろうね」主人「ウム、随分面倒だ。何にせよ孵化《ふか》後二か月ないし三か月の雛鳥を去勢するのだから、少し手荒いことをすると鳥が弱って直《す》ぐ死んでしまう。その代り雛鳥はまだ体質が雄《おす》は雄のように発達しておらんから去勢されても平気なもので施術《しじゅつ》の結果さえ良ければ後に弱ることがない。生れて五、六か月過ぎた鶏は最早《もはや》雌雄《しゆう》の体質が区別されているから施術は雛鳥より容易だけれども体質に急激な変化を起すからドウも予後が悪くって後に斃《たお》れる事が多い。だから去勢術は生後七、八十日の雛に限る。去勢せんとする雛は施術前三十六時間即ち一昼夜半少しも食物を与えないで腸胃の中を空虚《から》にさせる。さもないと施術の時|臓腑《ぞうふ》が膨脹して非常に困難だし、それに血管の動作が激烈だから出血しやすい。出血は施術に大禁物《だいきんもつ》で少《すこし》でも出血したらモー施術が出来ん。初めから終《しま》いまで少しも出血させずに施術しなければならんから非常の注意を要する。イザ施術という時には雛鳥を俎板《まないた》のような物へ載《の》せて首と両足とを動けないように縛《しば》って、先《ま》ず胸から腿《もも》へかけて羽毛《はね》をよく刈ってそれから鋭利な刃物《はもの》で腿と胴の間の外皮《かわ》を一寸ほど切る。其処《そこ》は人間の鼠蹊部《そけいぶ》というような処《ところ》で外皮を切れば腿の肉は胴の肉と離れているから篦《へら》で腿の肉を押開《おしひら》くとその下に腸が見えて薄い膜《まく》が腸を蔽《おお》っている。その薄い膜を破って腸を胴の方へ押し付けると背中の骨の処人間ならば腰という処に色の白い玉子形《たまごなり》の米粒位なものが一つ見える。それが即ち鶏の睾《きん》だ。これを直ぐに抜出そうとすれば薄い膜を破って筋を截《き》るばかりで造作《ぞうさ》もないけれども上の方の睾を先へ抜くと下の方のが奥へ釣上《つりあが》ってとても抜けなくなる。上の方のはそのままにしておいて先ず下の方から抜かなければならんが下の方のはズット奥にあって容易に見えない。其処《そこ》には静脈と動脈の血管が幾本《いくほん》も聚《あつ》まっていて肺臓も腎臓《じんぞう》も顔を出しているし殊《こと》に動脈管は下の睾を連結しているからサア何処《どこ》をどう破っていいかそれが一番むずかしい。もしやちょいとでも動脈管を突くと直ぐに血が走り出して鶏は忽《たちま》ち即死だ。動脈をピンセットで押えて結束したいにも小《ちいさ》い腹の中だからどうする事も出来ん。動脈を破ったらどうしても助からん。静脈の方は少し破れても即死するほどの血は出ないがしかし少しでも出血したら中の膜や脈管が見えなくなって施術する事が出来ん。止《や》むを得ず中止だ。外《ほか》の臓腑を破ってもその通りさ。だから血管へ触らないように外の臓腑へ傷《きずつ》けないように注意して押分けて行って下の睾の膜皮を破ると前の通りな白い睾が見える。それを細い針線《はりがね》の先の輪になったもので引《ひっ》かけて抜出せばモー安心さ。今度は上の方の睾を抜くのは容易だから二つ抜出してしまったら外皮を縫って放しておくと三十分も過《すぐ》れば餌《え》を拾って食べている。一週間過ぎれば疵口《きずぐち》も癒《い》えてしまって外の鶏と遊んでいてどれが去勢したのだか分らない位だ」小山「そういうものかね。やさしいようなむずかしいものだ」と独《ひと》りで感心する。

— posted by id at 03:06 pm  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.0458 sec.

http://ebook-my-home.com/