書画骨董《しょがこっとう》

[#4字下げ]第五十八 書画骨董《しょがこっとう》[#「第五十八 書画骨董」は中見出し]

 主人の言葉理ありといえども今の世には急に行われ難《がた》し。客の小山さえ妻の勧告を悦《よろこ》ばぬ色あり「中川君、文明流の台所もいいが器物を買うのに金《かね》がかかって困るよ」と今人《こんじん》は誰もよくこの愚痴《ぐち》を言う。中川黙然として暫《しばら》く小山の顔を眺め「君までがそんな事を言っているのか。妙な事を聞くが君の家の客室に応挙《おうきょ》の鶏《とり》を描《か》いた軸物《かけもの》がかかっていたね、あれは大層高価なものというではないか」小山「あれは僕の父が二百円である人から買ったが今売れば三百円以上になる。その外僕の家には周文だの雪舟だの殆《ほとん》ど千円近い名画が五、六|幅《ぷく》もあるよ」中川「サア其処《そこ》だテ。床の間へ名画を掛けておくのは何のためだ。一方からいえば粧飾《そうしょく》のためかもしれない。粧飾は贅沢物《ぜいたくぶつ》だ、あってもなくても君や妻君の身体《からだ》に何の関係もあるまいが、台所で使う道具に有害な毒分を含んでいたら毎日身体を侵害されるだろう。勝手道具は人生の必要物だ。必要物は一円か二円の鍋をさえ買わないで贅沢物には五百円も千円もする名画をかけておくのはどういう訳《わけ》か。人の家庭は先ず生活上の必要物から取揃《とりそろ》えてその後に贅沢物を買わねばならん。西洋人の家へ行ってみ給え、中流以下の人士では客室に油画《あぶらえ》の掛けてない家が沢山ある。掛けてあっても一枚か二枚掛け通してあるので日本人のように十幅も二十幅も名画を蓄《たくわ》え四季折々に掛けかえるというような贅沢はしない。その代り台所へ往《い》ってみ給え、食物調製に必要なる道具の揃っていない家は滅多《めった》にない。労働者といえども有毒な器で食物を料理するような事はない。日本人の家では床の間へ三百円も五百円もする名画をかけておきながら台所へ往ってみると箍《たが》の嵌《はま》った七厘の下を妻君が破れた渋団扇《しぶうちわ》で煽《あお》いでいるような事もある。随分間違っているではないか。必要物と贅沢物との区別が分らん。また一方からいえば床の間の名画は主人の娯楽に供せられるのだ。書画や骨董を翫《もてあそ》ぶのは何よりの楽《たのし》みだという人もあろうが主人一人の慰《なぐさ》みで妻君や家族は一向書画の趣味を解せん。してみると主人一人の翫具《おもちゃ》だ。主人一人の翫具には三百円五百円の金を惜《おし》まずして家族一同が生活上の道具には一円二円の金を惜むのかね。妻君が西洋風のソース鍋を買って下さいよと主人に歎願しても、イヤ先《ま》ず青銅鍋《からかねなべ》で間に合せておけと拒絶しながら其処へ友達が来て応挙の画の売物がある、持主が非常に困って売るから半分値《はんぶんね》で買えると聞くと、それでは人手に渡らぬ内早く往って買っておこうと百円札の二、三枚も掴《つか》み出すような不心得千万な人もある。全体|我邦《わがくに》の家庭は主人一人の翫具や慰みのために多額の金を費《ついや》して家族一同のためには一銭二銭の買物さえ惜しがるという風《ふう》がある。主人が酒道楽や女道楽に耽《ふけ》る如《ごと》き人道以外の悪徳は別にしてちょいと二、三日の休暇に温泉へ行くといっても主人一人だ。遊覧汽車へ乗《のっ》て往復するのも大概主人ばかりが多い。西洋料理を食べに行くとか日本の料理屋へ上るとかいうのも多くは主人とその友達位で、妻君は留守番をさせられるのみか家にいて香物《こうのもの》でお茶漬《ちゃづけ》だ。よくあんな事をして主人の心が平気でいられるね。我が家族に対して気の毒という心が起らんかね。我邦の主人は家族一同に対してすら共公心《きょうこうしん》が乏しいといわなければならん。国家に対しての共公心を責むるどころか我が家族に対してすら共公心がない。これでは共公事業の発達せんのも無理はないね」とまたもや例によっての長広舌、小山も慙愧《ざんき》に堪《た》えず「モー分ったよ、沢山だ」

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