手数

[#4字下げ]第六十二 手数[#「第六十二 手数」は中見出し]

 台所の経済法は主人より聞得たり。然《しか》れども小山はなおいまだ不満足の点なきにあらず「中川君、お登和さんのお料理も随分結構だがあんまり手数のかかるものが多くってちょいと試しにくい。手数が少しもかからんで軽便《けいべん》に美味《おいし》いものを食べる工風《くふう》がないかしらん」と人の得手勝手には際限なし。中川も張合《はりあい》なき顔して「それならば生物《なまもの》ばかり噛《かじ》っているに限る。野蛮人種のように煮もせず焼きもせず、肉でも野菜でも生《なま》で食べるのが一番無造作だ。しかしそれでも体内へ入って消化されるまでの手数はやっぱり同じ事だよ。体外で焼いたり煮たりしない代りに体内で胃と腸とが煮たり焼いたりするだけの手数をかけている。世が文明に進むほど体外の料理法へ手数をかけて胃と腸との手数を省いて遣るのだ。薩摩芋を食べるにしても丸噛《まるか》じりにすると消化の悪い繊維がそのまま腹へ入るから胃と腸とはそれを消化させるに非常の手数をかける。体外には裏漉《うらごし》だの擂鉢《すりばち》だのという便利の機械があって造作なく繊維を除《と》れるけれども胃と腸とは何の機械も持っていない。それへ手数をかけさせるのは気の毒でないか。体外の機械は段々進歩して軽便精巧な物が出来るけれども胃と腸とは古往今来いつでも同じ道具で働いている。可哀想《かあいそう》なものさ。体外の裏漉や擂鉢で筋を取ればその手数は料理する人一人だけで済む。食べる人は幾十人あっても皆《み》な体内の手数を免れる。その一人が手数をかけずに幾十人の体内へそのまま押込めば数十人の胃腸が尽く大手数《おおてすう》をかけるのだ。こんな不経済な事はない、あるいは牛肉《ぎゅうにく》のバラーを三、四時間煮通してシチュウにしても胃腸へ入ってそれだけに柔くする手数を省いて遣るのだ。牛乳だってコップからガブ飲みにすれば手数がかからんで一番よかろう、その代り腹へ入って胃液のために凝結《ぎょうけつ》したり、あるいは外の酸類に逢《あっ》て凝結するから胃と腸とがその凝固《かたまり》を釈《と》いて消化させるまでに何ほどの手数をかけるか知れない。散々手数をかけてもよく消化し尽せないから沢山牛乳をガブ飲みにすると下痢《げり》を起す。それを体外で少し手数をかけて何か料理に交ぜて使えば胃腸はそれだけの手数を免れるでないか。何でもその通り、料理の時少しく手数をかけると胃腸は大手数を免れる。料理の時手数をかけるのが嫌《きら》いな人は胃と腸とに大手数をかけさせる事が好きな人だ、我が手足を憐《あわれ》む事を知って胃腸を憐む事を知らない人だ。ちょこちょこと料理を済ませて生同様なものを腹の中へ押込むのは我が胃腸を虐待して憚《はばか》らざる人だ。我邦《わがくに》には動物虐待廃止会が起ったけれども僕はそれよりも胃腸虐待廃止会を起したいと思う。西洋人の家庭ではどうして食物を美味《おいし》く料理しようと研究している。我邦の妻君は食物|拵《ごしら》えをさも余計な仕事のように蒼蠅《うるさ》がってどうしたらちょこちょこと早く副食物《おかず》が出来るだろうと手数を省く工風ばかりしている。自分一人が手数を省くために亭主や小供やお負けに自分の胃腸までがどれほど余計な手数をかけるか更に頓着ない。実に野蛮だね。文明の世に生れて文明の何物たるを知らんのだね。僕は世間の心ない人たちから折々そういう苦情を聞くがアア浅ましいと思って歎息するね。文明風の料理法はなるべく体外の手数をかけて体内の手数を省くにありという事を忘れてはならんよ」と頻《しきり》に我が料理法を弁護する。

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