新しき家

[#4字下げ]第六十五 新しき家[#「第六十五 新しき家」は中見出し]

 大至急の手紙には如何《いか》なる事を言来《いいきた》りけん、大原はその夜|終宵《よもすがら》懊悩《おうのう》して寝《ね》もやらず、翌日も心の苦《くるし》みに堪え難くてや起きも上らで昼過ぐるまで床の内にあり。ところへ訪《と》い来《きた》れる親友の小山先ずこの体《てい》を見て眉を寄せ「大原君、また病気か」大原「イヤ病気ではない。少し思案に余る事があって寝ていて考えた」小山「アハハ大変な考方《かんがえかた》だ。時に大原君|悦《よろこ》び給え。万事好都合で、好い時には好い事のあるものさ。君も知っているだろう、中川君の家の一軒置いた先に門構《もんがまえ》の小綺麗《こぎれい》な家がある。あの家が今朝引越しさ。中川君がそれを見て家主《いえぬし》に聞いたところが今日明くのでまだ後の借人《かりて》は極《き》まらない。しかし割安の家だから直ぐに借人が出来るだろうといった。中川君は君のために適当な家を捜している所だし、あの家ならば殆ど注文通りだから君の承諾不承諾はともかくも外の人に借りられない内にと手附金を五十銭渡して君のために借りる事を約束しておいた。僕も今家の中を見たけれども普請《ふしん》が新しくって間取が好くって実に申分がない。君だって不満足の気支《きづかえ》はなかろうが今直ぐ僕と一所に行って家の事を極めて来給えな」大原「ウムありがとう。ありがたい事は実にありがたくって僕も昨日《きのう》から君らの恩に感泣《かんきゅう》しているがね、少々ここに困った事があるテ」小山「それは知っているよ多分金の事だろう。新に家を持つとなかなか金はかかるけれども少し位な事は僕の方で立替えてよし、それに中川君がお登和さんのために勝手道具や何かを買って遣るつもりだから君は入婿《いりむこ》同様大手を振って引越しが出来る。婚礼の事は延ばせても君が家だけ早く持っておかんと中川君の両親が郷里《くに》から来た時下宿屋|住居《ずまい》の人に嫁に遣るとも言いにくし。君だってどうせ家を持たねばならんから適当の家があったのを幸い今日|往《い》って見て明日にも直《す》ぐ引越しを済ませ給え。お登和さんはモー君の家の人になった気で先《せん》の人の荷物が出てしまったら直ぐに自分が掃除に行きますといっている。勝手道具も中川君の家から不用な品を持って行くし、持って行かれないものは双方共通にしてもいいとお登和さんが一生懸命に世話を焼いている。それにしても君一人では当分の内不便だろうから雇婆《やといばあ》さんでも置かねばなるまい。僕の知った桂庵《けいあん》があるからその方へ頼んでおこうと僕が今寄って来た。君の方は別にむずかしい支度はあるまい。机と書笈《ほんばこ》と夜具《やぐ》と人力車《くるま》へ載《の》せて笠の破《こわ》れた洋灯《らんぷ》を君が手に持って書生の引越のように車の後から尾《つ》いて来ればそれで済むだろう。マアともかくも一遍|往《い》ってその家を見て来給え。今頃は定めてお登和さんが襷掛《たすきがけ》で手拭《てぬぐい》を頭髪《あたま》へ被《かぶ》って家の中を掃除しているだろう。お登和さんは実に働きものだよ。君の幸福|想《おも》い遣《や》られる」と今度は事が先方より進歩する。大原いよいよ感じたる如く「実にありがたい。お登和さんがそれほどに働いてくれる志は何ともお礼の言いようがない。しかし小山君、僕は実に困った事が出来たよ。郷里《くに》から急に嫁の事を言って来てね」小山「ナニ、嫁の事」と驚き顔。

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