嫁の宣告

[#4字下げ]第六十六 嫁の宣告[#「第六十六 嫁の宣告」は中見出し]

 大原は心の苦《くるし》みに堪《た》えざる如く幾度《いくたび》か溜息を吐《つ》き「小山君、君の奥さんには先日ちょいとお話ししたが僕の郷里に年頃の従妹《いとこ》がある。即ち本家の娘だ。その本家から僕は今まで学資を半分ずつ助《す》けてもらったが、本家の両親は行く行くその娘を僕にくれたいという下心らしい事は僕も先年帰省した時始めて推測した。僕の両親も多分その事を承知しているらしく思われる。しかし僕に向って今日までいまだ公然の発表もないから僕はその相談を受けない内に早く東京で嫁を極《き》めたいと思っていたのさ。最も去年中から卒業祝いに是非一度帰れと毎度の催促が来るけれども今帰るとその相談を受けるに違いないと思って帰らずにいた。昨夜《ゆうべ》中川君の処からここへ帰って来て、モー此方《こっち》の事は極まったから郷里の両親へ委しい手紙を出して婚礼の承諾を受《うけ》たいと思っていたところ郷里《くに》から至急の手紙が来ていよいよ従妹の一件を宣告されたね。モー少し早く僕が手紙を出しておくとまだよかったけれども手後《ておく》れになったため向うの方に先んぜられた。ここに手紙があるから読んでくれ給え。その通りの言渡《いいわた》しだ、去年中から頻《しき》りに帰国の事を申し遣《つか》わして今か今かと待っていたけれどもそちらにも忙しい事があって帰れないというのは是非もない。今まで和郎《おまえ》の帰国を促したのは予《か》ねて和郎と本家のお代さんとを婚礼させる事に話しが極まっている。和郎が帰国したら卒業祝いを兼ねて立派な婚礼式をさせるつもりだったが急に帰れないという訳ならばお代さんを東京へ連れて行って東京で婚礼をさせてもいい。和郎の方の都合でいずれにでもするから急に帰国するかそれとも此方《こちら》から東京へ出ようか、二つに一つの返事をしてくれろとこういう訳だ。ナント小山君、僕は実に困ってしまったよ」と正直なる男だけに途方に暮れて泣かぬばかり。小山も意外の妨《さまた》げに驚きけるが当人ほどに失望せず「大原君、しかしこういう事は本人同士の意向によって決するものだ。君がその事を不承知だといったら強《し》ゆる訳になるまい」大原「ところがね、東京|辺《へん》ならば本人の心を聞いた上という事もあるが、僕の郷里の習慣では一切《いっさい》本人にお構いなし。親たちの心次第でサッサと息子の嫁を極めて本人の知らない処へ明日は和郎《おまえ》のお嫁さんが来るよなぞと出し抜けに宣告される風《ふう》だからね。この手紙だって相談ではない宣告だ。異議の申立が出来ない宣告だ」小山「それにしても血族婚礼は生理上に害がある。モー一層社会が進歩したら従兄弟《いとこ》同士の婚礼は法律上で禁ずるかも知れんという有様《ありさま》だ。その事を君から委しく通知したら君の御両親だって御諒解《ごりょうかい》にならん事はあるまい」大原「それは随分諒解せんでもないが何《な》にしろ向うは本家|此方《こっち》は分家、僕の母が本家から財産を分けてもらって僕の父を養子に貰った次第だから両親に諒解されても本家の人たちに諒解されんと両親もそれを拒絶する事が出来まい。随分事が面倒だよ」と平生《へいぜい》の元気も消え失せて独《ひと》り心を苦しむる。世間いまだかかる事情の跡《あと》を絶たざるもあるべし。

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