村の誉《ほま》れ

[#4字下げ]第六十八 村の誉《ほま》れ[#「第六十八 村の誉れ」は中見出し]

 ここは奥州の山の中、都を離れし片田舎《かたいなか》ながら村中にて指を折らるる大原の実家、家も邸《やしき》も手広くして人出入さえ多き中に去年当家の若旦那が大学校を卒業されて文学士というエライお方になられたげなと評判隣村にまで広がりしより取分け人の訪《と》い来《く》る事多く主人夫婦は応接に遑《いとま》あらず「イヤこれは八|兵衛《べえ》さんよくおいでだね」八兵衛「ヒエー、マア今日もお天気で好《え》い塩梅《あんばい》です。時に若旦那様はまだお帰りになりませんか。わしは若旦那のお帰りには花火を沢山|揚《あ》げべいと思って去年から狼烟《のろし》を十三本|拵《こしら》えました。お帰りの日が分りましたらどうぞ早くお知らせなすって下さい」と語る後方《うしろ》に若者の権蔵《ごんぞう》「ヒエー、わしは若旦那のお迎いに一の関辺りまで参りますべいと思って、ヒエーまだお分りになりませんか」と誰も彼も皆《み》な若旦那の帰期を問わざるなし。この村より東京へ留学して仮にも大学校を卒業せしはただ一人、その一人のために村の名誉は隣村を圧するばかりと村中の人皆な大原学士のために一大祝典を挙げん事を思う。大原の父母も鼻が高く一々来客に接して悴《せがれ》の事を吹聴《ふいちょう》する。後《おく》れて来りし半白《はんぱく》の老人大原家とは同格の家柄と見えて横柄《おうへい》にツト庭先へ入り来り「ヤア今日は、満《みつる》さんはまだ帰るとも帰らねいとも分らねいかね。多分帰っては来めい。だから私は若い者を東京へ出すのがイヤだというのさ。旨《うま》く行かなけりゃ途中で銭を費《つか》って始末に了《おえ》ねい道楽者になってしまうし、旨く行って少しでも出世するとモー国の事を忘れてしまって以上たっても帰らない。それにな、東京で女に引かかるとモー駄目《だめ》だよ。悪い女でなくても東京で女房を貰ったら自分は帰って来る気があっても東京の女なんぞはこんな田舎へ引込む気はないからね。国の事なんぞは夢にも見なくなってしまうだ。満さんは本家のお代《だい》さんと縁組するはずになっているそうだから国の事を忘れる気支《きづかい》もあるめいけれど、こういつまでも帰らねいのを見ると何だか少し怪しいようだ。堅い堅いといったって東京には好《い》い女があるからなあ。この道ばかりはどうも別だよ。今頃はどんなものが出来ているかも知れねい。この村が海になろうと川になろうと滅多《めった》な事で帰って来そうもないのう」と余計な事を言いたがるも村での口利《くちき》き、一度は村会議員に出たほどの人物なんめり。大原の父は少しく不平の色あり「イイエ悴に限って決してそんな事はない、大丈夫だ。あの通りぼくねん人《じん》だもの」老人「それが当《あて》にならねいだよ」ととかく何事にも反対する癖あり。折から門の方《かた》より足音高くドシドシと入り来るは本家の娘お代さん。先に大原が小山の妻君に話せし通り、どんぐり眼《まなこ》に団子《だんご》っ鼻、赤ら顔に縮れっ毛《げ》、大兵肥満《だいひょうひまん》の大女なれども鬼も十八の娘盛りとて薄黒い顔に白粉《おしろい》をコテと塗り、太き地声を細く殺して「伯母《おば》さん今日《こんにち》は」と妙に気取って歩み来る。口の悪き老人その顔を見て笑い出し「イヨお代さん、大層おめかしだね。東京の満さんに嫌われめいと思ってこの頃はめかしてばかりいさっしゃる。だけどもお代さん駄目だよ、満さんは東京で可愛《かあい》い可愛い女が出来ているとよ」お代驚き「アラ、ホント」老人「アーニ、出来たろうと思ってよ。マア折角めかさっせい、さようなら」とイヤにクスクス笑って帰り行く。お代は今の言葉が気になる様子「伯父《おじ》さん、満さんはまだ帰らねいのう」とさもその帰りを待つ如《ごと》し。

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