長手紙

[#4字下げ]第六十九 長手紙[#「第六十九 長手紙」は中見出し]

 村中の人よりも誰より彼よりも一番熱心に満の帰りを待ち詫《わび》けるはこの娘なり。満がこの村より出《い》でて文学士というエライ者になりたるさえ村中|一統《いっとう》の誉《ほま》れなるに我身そのエライ人と縁組せんこそこの上もなき誉れぞと玉の輿に乗る心持「伯父さん、満さんはいつ帰るとも言って来ねいのう」と心持にそぐわぬ物の言いよう。伯父は幾分《いくぶん》か眉を顰《ひそ》めてその思慮無《はしたな》きを疎《うと》んずる色あれども伯母なる人は親身《しんみ》の姪《めい》とてその心根《こころね》を哀れに思い「今度こそモー直《じ》きに帰るよ。帰って来なければ和女《おまえ》を連れて東京へ行く事になっている。今までは和女の事を何ともそういって遣《や》らなかったから満も帰る気にならなかったろうが、今度始めて和女の事をそういって遣ったからきっと大悦《おおよろこ》びで帰って来るよ。帰って来なければモー何とか返事が来そうなものだ。返事の来ないのを見るときっと自分が帰って来るよ」とお代には何事も隠さぬと見ゆ。お代は厚き唇をまくり挙《あ》げて嬉しそうに笑い「早く帰ればよいなあ」と後ろを振向きて思わず門の外を眺むるに門外より入《い》り来《きた》れるはこの村の郵便脚夫、背戸《せど》の方へ廻らんとするをお代がドタドタと庭口より走り出で「何処《どこ》から来たのう」と自分が手紙を受取りて伯父の前へ持ち来り「伯父さん、満さんの手紙よ。何といって来たろう。読《よん》で御覧な」と礼儀も知らぬ山家育《やまがそだ》ち。伯母も側へ来り「手紙をよこすようでは東京へ来いというのかしらん、何といって来て」と左右よりの催促。伯父も養子の身の上とて伯母に逆らうこと成り難《がた》くてや封を披《ひら》きて二、三行読み下《くだ》し「エート東京|辺《へん》は追々暖気に向い候《そうら》えども御地《おんち》はいまだ寒さ烈《はげし》き御事《おんこと》と存候処《ぞんじそろところ》御両親様始め御本家の伯父上伯母上お代どのまで御一同御無事に御暮《おんくら》し被遊候由《あそばされそろよし》何よりの御事と奉賀候《がしたてまつりそろ》。次に小生儀も息才に罷在候間《まかりありそろあいだ》御安心被下度候《ごあんしんくだされたくそろ》。さて先頃の御書面は委しく拝読|仕候《つかまつりそろ》。それに就き、ウムムウムム」と俄《にわか》に口籠《くちごも》りて後は口の内、伯母は戻《もど》かしく「帰るというの、帰らないというの」お代は失礼にも手紙の上に顔を突出して覗《のぞ》き込み「マア長い手紙ね」と窃《ひそか》に本文を読まんとするに伯父はクルクルとその手紙を巻いてしまい「アハハあんまり長いから奥へ持って行って緩々《ゆるゆる》読まなくっては訳が分らん。お代ちゃん、胡桃餅《くるみもち》でも拵《こしら》えてお食《あが》りな」お代「胡桃餅なんぞ食いたくねい。満さんは帰えらないのう」と手紙の後を読まれぬが気にかかる。伯母も気にかかりて聞きたくはあれど老いたるだけに手紙の文のお代に聞かせ難《がた》き事あらんを察し「お代や、胡桃餅を拵えよう。和女《おまえ》鉄槌《かなづち》を持って来て割っておくれな。丁寧《ていねい》に頭から割らないと中の身が取れないよ」と胡桃を前へ持出してお代とともに割りかける。伯父は奥に入りて我子の手紙を読み始めぬ。細字《さいじ》にて認《したた》めたる長文の手紙、中には議論文もあり歎願書もあり、一《ひと》たび読みおわりてまた繰返し、再び読みおわりて思案に沈み、「こういわれてみると悴《せがれ》の言う所も無理はない」と両眼を閉じ腕を拱《こまぬ》きて黙然たり。横合より顔を出す伯母「満の処から何といって来たの」[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]

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