父の同情

○胡桃餅は奥州の名物にて鬼胡桃の実をよく摺り豆腐を交ぜ水に溶きて砂糖醤油を交ぜその中へ搗《つ》いたばかりの餅を入れたるなり。餅の代りに白玉を使うもよし。○胡桃は蛋白質弐割八分、脂肪五割九分を有す。[#ここで字下げ終わり]

[#4字下げ]第七十 父の同情[#「第七十 父の同情」は中見出し]

 妻に問われて伯父《おじ》なる人はその手紙を示し「満からはこういって来た。従兄弟《いとこ》同士の婚礼は大層悪いといって西洋の学者が色々な証拠を挙げている、自分はいやしくも文学者となった以上には世間の人に好《い》い手本を見せて悪い習慣を廃《や》めさせなければならん、お代さんの事は誠にありがたく思うけれどもそういう訳だからどうぞ思い留《と》まって下さい、それに今の学説では遠方の人と婚礼するほど良《い》い子が出来るといっている、ちょうど自分の同学生の妹が去年長崎から出て来て東京で嫁入口を捜《さ》がしているからその人を貰《もら》いたいと思うが一応御両親にもその人をお目にかけて御許しを受けたいについてどうぞ父上様と母上様とで御出京を願いたい、自分もこの頃下宿屋生活を廃めてその同学生の住んでいる近隣へ家を持ったからお両方《ふたかた》が御上京になってもお宿を申すに差し支えないとこう書いてある」伯母《おば》は聞く内に顔の色変われり「ソラ御覧なさい、先刻《さっき》杢兵衛《もくべえ》さんの言った通りだ。いつの間にか東京でそんな女に引《ひっ》かかってそれで何といっても帰らない。だから私が言わない事じゃない、去年卒業した時|此方《こっち》へ帰らなければ此方からお代を連れて行って直《す》ぐに婚礼させなければきっと魔がさして碌《ろく》な事にならないとあれほどやかましくそういったでありませんか。それでなければ早くお代の事を言って遣《や》って満の心を極《き》めさせておくようにと私がヤイヤイ言っているのに、ヤレ今に帰るの、手紙では解らないのと今まで黙っていたからこんな事になってしまった。従兄弟同士の婚礼が悪いの善《よ》いのといったってこの村では昔から他村の人と縁組をしない、皆《み》んな親類同士で縁組をするから大概な家では従兄弟同士が夫婦になっている。それが悪いとは聞いた事がない。ナーニ満が東京の悪い女に引かかってお代がイヤになったからそんな事を言うに違いない。イヤだといっても親たちが極めた事だ、今更何といっても承知するものか」と到底理窟はこの人の耳に入《い》らず。伯父は幾分か我子に対して同情あり「それにね、お代ちゃんがモー少し女らしいと無理に勧《すす》めても構わんけれども、大学校を卒業した文学士の夫人としては少しどうも不似合《ふにあい》な処があるからね」伯母「何ですとえ、何とお言いです。お代が不似合ですと、何処《どこ》が不似合です。ちょうど従兄弟同士ではあるしこれほど好《よ》く似合った者はないでありませんか。それに何でしょう、貴老《あなた》も承知してお代の事を極めたのでありませんか。今になってそんな事を言うのは満の贔負《ひいき》ばかりしてお代を見捨てるおつもりですか。東京の怪しい女を納《い》れさせて満の嫁にするつもりですか。満は本家から半分ずつ学資を出してもらってそれで卒業も出来たのに今になってそんな事が言えた義理でしょうか。貴老だってよく考えて御覧なさい」と伯母の怒りは容易に釈《と》けず、伯父は頻《しきり》に伯母を宥《なだ》め「マアそう一図《いちず》に怒らんでもよい。ナニも満が私たちに黙って自分の好きな女を引入れたのでなし、ともかくも東京へ来て本人を見てくれろというのだ。私と和女《おまえ》と二人で東京へ往《い》ってよく満とも相談した上にしよう」伯母「相談とは何の事です。これほど極まっている事を相談もナニも要《い》るものですか。東京へ往くならお代を一緒に連れて行って直《す》ぐに婚礼をさせましょう」伯父「お代ちゃんは後からでも呼べる」伯母「イイエ直ぐでなくってはいけません」と二人が頻に言い争う彼方《かなた》にヒーッと泣声の聞えて大きな身体《からだ》がドタリと畳《たたみ》に倒れたる様子。伯母は顧み「お代やお泣きでないよ」と言えどお代はオイオイ泣きながら起上り、どんぐり眼《まなこ》より大きな涙をポタリポタリ落して我家《わがいえ》の方《かた》へ走り行く。

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